戦前定期傭船の不履行と船舶差押え
- 1936年の定期傭船契約を巡る紛争で、2007年に上海海事法院が商船三井へ約29億円の支払いを命じ、2010年に確定。
- 履行が進まず、2014年に船舶BAOSTEEL EMOTIONが差押えられ、被告が全額支払い後に解除された。
- 古い契約でも承継・時効・執行地次第で現在に影響し、寄港リスクの管理が重要であることを示した事例。
概要
この事件は、1936年に締結された定期傭船契約(Time Charter=定期租船合同)に端を発します。長年にわたり紛争が続き、最終的に上海海事法院が2007年に日本側に賠償を命じ、その判決は2010年に確定しました。その後も履行が進まず、2014年には船舶差押え(扣押)によって強制的に履行を確保する事態となりました。
差押えの対象となったのは、商船三井が運航する BAOSTEEL EMOTION という船舶です。舟山市嵊泗の馬跡山港(Majishan Port)で差押えが執行され、被告は判決金の全面支払いに応じました。これを受けて、2014年4月24日午前8時30分に差押えが解除されています[F1][F2][F3]。
事案の背景(タイムライン)
- 1936/06/16・10/14:中威輪船公司(Zhongwei Shipping)の代表・陳順通が、大同海運株式会社(商船三井の前身)と「順豊」号と「新太平」号の定期傭船契約を上海で締結しました(期間は各12か月)。契約には、禁運港の回避や有害貨物の積載禁止といった例外条項が含まれていました[F1]。
- 1937–1944:両船は日本側の運航下で扣留や沈没といった損失を受けました[F1]。
- 1988/12/30:原告(相続人ら)が上海海事法院に提訴。1986年に制定された民法通則の経過規定に基づき、1987/01/01から時効が起算されるとされ、提訴は適時と認定されました[F1]。
- 2007/12/07(第一審):上海海事法院((1989)沪海法商字第25号)は、商船三井に対し2,916,477,260.80円(JPY)と利息などの支払いを命じました。なお、中威会社自身の請求は認められず、個人相続人2名の請求のみが認容されました[F1]。
- 2010/08/06(終審):上海市高級人民法院((2008)沪高民四(海)终字第80号)は控訴を棄却し、第一審判決を維持しました[F1]。
- 2010/12/23(再審申立):最高人民法院((2010)民申字第1269号)は再審申立てを棄却し、判決が確定しました[F1]。
- 2014/04/19–24(強制執行):上海海事法院が馬跡山港で船舶を差押え、4/23に履行がなされ、4/24午前8時30分に差押え解除が公表されました[F2][F3]。
主張(当事者の言い分)
- 原告(中威側相続人):定期傭船契約に基づく未払いの賃料(Hire)、運航に伴う損失、船体損失(Hull loss)などの賠償を請求しました。さらに、契約の例外条項に反した運航が沈没や滅失につながったと主張しました[F1]。
- 被告(商船三井):契約の免責条項や、戦時中の敵対行為・扣留といった不可抗力を主張しました。また、会社の承継(大同→日本海運→ナビックス→商船三井)の正当性や時効の問題を争い、再審を申し立てました[F1]。
判決理由(要旨)
契約違反と不法行為の成立
裁判所は、被告の前身会社である大同海運が安全海域で運航すべき義務などに違反し、日本沿岸での運航中に扣留や沈没に至った事実を認定しました。そのため、傭船契約の違反に加え、財産権侵害(侵权)も成立すると判断しました[F1]。
主体適格(承継)の連続性
原告側については、遺言や相続によって権利主体が連続していると認められました。被告側についても、大同海運から日本海運、ナビックスを経て商船三井へと合併・承継がなされており、義務が一貫して引き継がれていることが整理されました[F1]。
時効の判断
民法通則の経過規定に基づき、権利侵害が20年以上前に発生していても、1987/01/01から時効が起算されると判断。したがって、1988/12/30の提訴は適法とされました[F1]。
執行の適法性
海事訴訟特別手続法および民事訴訟法に基づいて行われた船舶差押え(扣押)とその後の解除はいずれも適法と認定。これは確定判決の実効的な履行を確保するために相当な手段であると評価されました[F2][F3]。
判決内容
- 第一審(上海海事法院 2007/12/07):(1989)沪海法商字第25号。裁判所は商船三井に対し、約29.16億円と利息(孳息)の支払いを命じました。なお、中威会社自身の請求は認められず、個人相続人2名の請求のみが認容されました[F1]。
- 終審(上海市高院 2010/08/06):(2008)沪高民四(海)终字第80号。高院は控訴を棄却し、第一審判決を維持しました[F1]。
- 再審(最高人民法院 2010/12/23):(2010)民申字第1269号。最高人民法院は再審申立てを棄却し、判決が確定しました[F1]。
- 強制執行(2014/04/19–24):商船三井が運航していた BAOSTEEL EMOTION が馬跡山港で差押えされました。その後、被告が履行に応じ、4月24日午前8時30分に差押えが解除されています[F2][F3]。
課題(なぜ、トラブルが起きた?)
- 債務承継の把握不足:前身会社から合併を経た複雑な承継(succession)について、外部説明・社内引当・和解検討が遅れました[F1]。
- 時効と準拠法の見通し不足:1987/01/01起算の経過規定を軽視し、1988年の提訴から2007年判決、2010年確定までの長期係争リスクを正しく見積もれませんでした[F1]。
- 中国での執行力を過小評価:中国海事法院による船舶差押えは実効性が高く、寄港や停泊のタイミングで捕捉されるリスクを織り込めていませんでした[F3]。
貿易実務者の学びポイント
承継マップの常設化
前身会社から合併を経て現法人に至る権利義務の流れ(Who owes what)を年次で更新。海外判決の既判力(res judicata)や未払い判決の有無を監査項目として固定化します[F1]。
寄港リスクの“執行マップ化”
中国寄港をArrest(差押え)リスクとして評価し、Port rotationに組み込み。担保提供や和解交渉を始めるトリガー条件を事前に設定します[F2][F3]。
時効ガバナンス
経過規定を含む各法域の時効(Limitation)を事件ごとのカルテに整理。歴史的な債務については時効復活”の可能性を法域別に色分けして管理します。
チャーターパーティ条項の“執行連動化”
準拠法・管轄・仲裁条項を将来の執行地(例:PRC港)と整合させることをレビュー。中国での承認・執行を見越して、担保提供(保証金や保函)を事前に合意しておきます。
即応プロトコルの整備
差押え通知が届いたら、担保提供→和解(分割・一括)→解除申立という社内SOPを速やかに発動。同時に広報対応や荷主への説明も行い、被執行当事会社が迅速に情報を開示した事例を参考にします[F4]。
今日からできる行動チェックリスト
- 古い傭船・用船契約の棚卸し:承継ルート、請求の潜在性、既判力や係属中の案件の有無を定期的に確認。
- 寄港前のチェック:中国(PRC)に寄港予定がある場合は、執行リスクを必ず評価し、標準手順として組み込む。
- 時効カレンダーの作成:各国の経過規定や特別法による時効の起算点を整理し、国別に管理。
- 執行対応の即応体制:差押え発生時に、担保提供→解除までを法務・運航・財務が連携して動けるよう、対応フローを明文化。
💡インサイト(中小企業への学び)
「古い契約だからもう消えた」と思うのは危険です。本件は1936年の契約に基づきながら、2014年に船舶差押えで履行が実現しました。承継(succession)・時効(limitation)・執行地(place of enforcement)を文書とシステムで可視化して管理することが、越境・長期債務における“想定外の差押え”を防ぐ最短の対策です[F1][F3]。
要点まとめ
- 2007一審→2010確定→2014差押え→履行→解除の実行例[F1][F2]。
- 主体適格(相続・会社承継)と時効が主要争点。1987/1/1起算で1988/12/30提訴は適時[F1]。
- 海事法院の船舶差押えは寄港地で実効。執行ハザード評価が実務の肝[F3]。
- 契約・管轄・担保条項を将来の執行地と整合させる設計が不可欠。
Factリスト
- [F1] 广州海事法院(最高法発表の転載):「最高人民法院公布十起海事审判典型案例」(2014-09-02 公表)。事件番号・金額・執行経過を公式要旨で確認可。
URL: https://www.gzhsfy.gov.cn/web/content?gid=17446&lmdm=1002 - [F2] 最高人民法院・法院公報(公式):「最高人民法院发布海事审判典型案例」—2014/4/24 解除裁定・4/23 履行の要旨。
URL: https://gongbao.court.gov.cn/Details/129e3fcb2fda9e2afdc23ab1b9427b.html - [F3] 最高人民法院(公式ニュース):「商船三井株式会社已全面履行判决确定的义务——上海海事法院依法解除对该公司的船舶扣押」(2014-04-24)。
URL: https://www.court.gov.cn/zixun/xiangqing/8109.html - [F4] 商船三井(公式リリース):「中国当局による当社船差し押さえの件」(2014-04-21/04-24)。事実経過の一次情報。
URL: https://www.mol.co.jp/pr/2014/14026.html
※本記事は法律的助言ではなく、貿易実務の参考情報です。
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